図書館!!
本を読むなら図書館へ、ということをすっかり忘れていました。
図書館検索をしたら、『ソロモンの偽証』は単行本、文庫本全部が揃っていて、単行本は3冊とも「貸出可」とありました。
事前に貸し出しを申し込んでおいて、来週にでも図書館に行ってみたいと思います。
『ソロモンの偽証』が読みたい!
最近はテレビで映画『ソロモンの偽証』が放映されたり、韓国版の同名ドラマが放映されたりしています。原作はまだ読んでいませんが、映画は「違う」ような気がし、韓ドラのほうも何となく違和感を覚える内容となっています。もっとも、韓ドラのほうは学校文化の違いから来るような気もしますが。
『ソロモンの偽証』はなかなか電子書籍化されませんね。というより、宮部みゆきの小説は電子書籍になっていないのですね。(検索して分かりました)
そういえば東野圭吾の新作も読まなくなった、と気づき、こちらも検索してみましたが、やはり電子書籍化はされていないようです。
両作家の作品で最後に読んだのが、文庫版の『小暮写眞館』と『真夏の方程式』で、どちらも2013年のものですから、ちょうどKindleを買う直前のこと。Kindle前とKindle後では読む作家が変わってしまった気がします。そういえば、最近はKindleのセールで読む本を決めていたりしますので、その点は大いに反省しなければならないのかもしれません。
『ソロモンの偽証』、中古だと送料込みで1200円ぐらいからあるようですね。本の重みで自室の床が沈み蔵書の半分を捨ててからは、1冊買うときは必ず1冊手放すというルールを自らに課しているのですが、単行本3冊、または文庫本6冊を手放すことが今からできるか。
または、読み終わった後、『ソロモンの偽証』を手放すという方法もありますが……。
ちょっと、いろいろ考えてみます。
アルマーニの標準服
HUFFPOSTに泰明小学校の校長が標準服について父母に説明した文書の全文が掲載されていました。そこから、気になるところを少し抜粋します。
愛校心、所属愛、学校に対する誇りが自己の存在と重なると、スクール・アイデンティティーが芽生えます。(略)泰明の標準服を身に付けているという潜在意識が、学校集団への同一性を育み、この集団がよい集団であって欲しい、よりよい自分であるためによい集団にしなければならない、というスクールアイデンティティーに昇華していくのだと考えます。
私が上の記事を読んだのは、『名探偵コナン ベイカー街の亡霊』を見た直後でした。そのせいか、映画コナンの劇中のセリフが泰明小の校長の説明文と妙に重なっているように思われました。下に引用するのは、映画が始まってすぐのセリフです。
「いいか、人間ってのはな、生まれたときから人生が決まってるのさ」
「そうそう、きれいな服も着る人間を選ぶってわけ」
「選ばれなかった人間は、外から指を加えて見てればいいんだよ」
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映画『ニンゲン合格』
昨夜録画した『ニンゲン合格』を、さっきまで見てました。1999年の映画とありますから、この映画を最初に見てからもう20年近く経つことになります。その頃、とても好きな映画でした。今見ても、良い映画だと思います。
ただ、タイトルはちょっと困りものです。見た後は内容に合っている良いタイトルだとは思うのですが、見る前は「人間失格」をパロディにしたふざけた映画にしか思えなくて、見るのに躊躇しました。黒沢清の名前がなかったら、たぶん見ていなかったと思います。
同様に、内容には合っているのにふざけたタイトルにしか思えないのに『ちょんまげぷりん』(2010)があります。『ちょんまげぷりん』は人に薦められて見たのですが、初めてタイトルを聞いたときには、「何それ?」とちょっと吹き出しそうになりました。
また、映画の中にはそのタイトルを口にするのがはばかられるものがいくつかあるような気がします。私の場合は、ということで、思いつくままいくつか挙げると、
『シリアナ』(2005)
『シッコ』(2007)
『ハクソーリッジ』(2016)
あたりでしょうか。(上記3昨品が好きな方、申し訳ありません)
『わろてんか』と『心はいつもラムネ色』
NHKの朝のドラマ『わろてんか』ですが、ミス・リリコアンドシローが登場して初めて、リリコがスーちゃんであることに気づきました。そこから、てんが真野あずさであることにも思い至りました。
どうやら、『わろてんか』と『心はいつもラムネ色』は、さまざまな点でリンクしているようです。
私が『心はいつもラムネ色』を見たのは再放送でしたから2002年のことのようです。当時は朝ドラの本放送よりも再放送のほうが面白いことが多く、『都の風』『君の名は』『心はいつもラムネ色』の3作品が特に好きでした。
キースとあさりのコンビがエンタツ・アチャコであることに気づいたのもミス・リリコ=メス・ワカナからの類推ですから、最近のことです。
ということは……、『わろてんか』に文平(新藤栄作)もいるのかな。これから出てくるのかな。いや、もう出てきたのかな。それでは賀津(藤谷美和子)は? など、頭の中で『心はいつもラムネ色』の情景が目まぐるしく移り変わりました。
そこで、Wikipediaを見てみました。
『心はいつもラムネ色』(こころはいつもラムネいろ)は、1984年(昭和59年)10月1日から1985年(昭和60年)3月30日まで放送されたNHK連続テレビ小説第33作である。
万丈目 吉蔵(まんじょうめ きちぞう)
演 - 藤井隆元よしもとクリエイティブ・エージェンシー専務取締役の竹中功は、秋田實がモデルと推測している。
どうやら、
文平=秋田實
万丈目吉蔵=秋田實
ということのようです。
ネット検索で写真が拾えたので、比較のため載せておきます。
ちょっと打ちのめされた気がしました。
NHKアーカイブスで、『心はいつもラムネ色』の動画が5分くらい見られます。
https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009010296_00000
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「葛西も伊東も小林兄弟も決勝に進める50位以内」(読売)
平昌オリンピック、一部の競技が今日から始まりましたね。
「葛西も伊東も小林兄弟も決勝に進める50位以内」
(02月08日、読売新聞)
9日開幕の平昌冬季五輪は8日、ノルディックスキー・ジャンプ男子のノーマルヒル予選が行われ、45歳の葛西紀明(土屋ホーム)が冬季史上最多の8度目の出場を果たし、決勝に進める50位以内に入った。
小林潤志郎(雪印メグミルク)、小林陵侑(土屋ホーム)の兄弟、伊東大貴(雪印メグミルク)の日本勢全員が50位以内に入った。決勝は10日に行われる。
http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2018/ski-jump/20180208-OYT1T50137.html?from=ytop_top
昨日の練習後に極寒の中バスが来なかった、との記事を読んでいましたから、今日の予選は心配していました。
「葛西、バス40分待たされ『なまら寒かった』」
(02月08日、読売)
平昌五輪ノルディックスキー・ジャンプ代表の葛西紀明(土屋ホーム)は8日、ブログを更新し、7日に行われた公式練習後にシャトルバスが予定通りに来ず、非常に寒い思いをしたことを明かした。
ブログによると気温マイナス14度の中、40分も待たされたという。「他のチームはとっくの昔に帰っちゃって、日本チームだけ取り残される」、「開会式の練習だと言い聞かせながら耐え忍んでましたが、マジでなまら寒かった」などとハプニングを振り返りながらも「さあ!明日も頑張るぞーーー!!」と結んだ。
葛西は8日に行われる個人ノーマルヒル予選に出場する。
http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2018/ski-jump/20180208-OYT1T50057.html?from=ytop_main3
寒さの中、バスを待たされるという話は数日前にもありましたね。そのときは、韓国人ボランティアの話でしたが。
「五輪直前 ボランティア2400人辞める 宿泊施設などに不満」
(2月3日、NHK)
開幕まで1週間を切ったピョンチャンオリンピックの運営をサポートするボランティアが、宿泊施設の不備など生活環境への不満を訴え、およそ2400人が辞めていたことが大会の組織委員会への取材でわかりました。
宿泊施設の一部では、温水が出る時間が制限され、冷水で体を洗わなければならなかったり、通勤のためのバスの本数が少なく、出勤や帰宅の際に寒さの中、1時間以上バスを待たされたりする苦情が相次ぎ、組織委員会によりますと、3日までにおよそ2400人が辞めたということです。
このため、組織委員会は、宿泊施設に温水を24時間使えるように要請を出したり、バスを増便したりしてボランティアの離脱に歯止めをかける対策に乗り出したということです。(適宜、省略しました)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180203/k10011314001000.html
健康面で細かいところまで気がまわるようなオリンピックであってほしいと思います。ついでに言えば衛生面も。
記事の中のシャワーのくだりで、一つ思い出したことがあります。昔の話ですが、当時仲の良かった韓国人交換留学生が、日本の寮のシャワーはいつでもお湯が出るのがいいと言っていました。その人の通う韓国の大学ではたしか11月30日までは水しか出ないと言っていたような気がします。昔々の話なので今は改善されていると思っていたのですが、上の記事を読むとそんなに変わっていないのかな、という気がしてきます。
紙の書籍と電子書籍
今日は、韓国の中央日報のコラムを読んで、少し微妙な気持ちになりました。
【噴水台】本を読まないゾンビ世界、大韓民国
(2018年02月07日)
もう驚くことでもない。韓国人はますます本を読まない。韓国の20以上男女10人中4人は1年間ただ一冊の紙の本も読まなかった。ある者は、今は人々が紙の本の代わりに電子ブックで読んだり、多様な電子機器を通じていつにもまして多くの情報を得たりしているのに何が問題かと問い返すかもしれない。
だが、専門家たちの考えは違う。情報の量と質はさて置き、「紙の本」の読書だけが与えられる効用が別にあると考えるためだ。その一つが共感能力だ。
同じ内容でも紙の本でない電子機器に接すれば我々の脳は違う方法で受け入れる。デジタルプラットホームで読んだ人は文章から推論を引き出したり、抽象的に思考をしたりする能力が著しく落ちたという。共感能力や思考力のような読書のメリットを全て享受するには紙の本を見るほかはないという結論に至る。 (途中、かなり省略しました)
紙の本と電子書籍でそんなに違うものなのでしょうか。引用では省略しましたが、コラムには「◯◯大学研究チームが」という裏付けというか権威付けが並びます。紙の本から電子書籍に移行した私からすれば、「効用」はどちらも変わらなくて、「効率」は電子書籍のほうが上という気がします。
もっとも、それはe-inkのKindleで読んでいるからかもしれません。かつてタブレットで読書していた頃は、3時間ぐらいで目が痛くなったような気がします。
個人的には紙の本も電子書籍もそれほど変わらないと結論づけたいのですが、一つだけ電子書籍で困ることがあります。それは本にもよるのですが、たとえば角川文庫の『華麗なるギャツビー』の電子書籍版では目次が存在しないため、Kindleの「移動」機能を使っても動けるのは「表紙」と「奥付」だけです。そのため、たとえば第九章をもう一度読みたいと思ったときには、画面を前後にスライドさせて探すことになります。
最後になりますが、上のコラムに関しては読書ではなく映画鑑賞を題材とするなら、その趣旨は「あり」という気がしてきます。ここからは、上のコラムを自分流に書き変えてみたいと思います。
もう驚くことでもない。私たちは映画館で映画をそれほど見なくなった。ある者は、今は映画館に行く代わりにDVDで映画を見たり、タブレットを通じていつにもまして多くの映画を見たりしているのに何が問題かと問い返すかもしれない。
だが、専門家たちの考えは違う。情報の量と質はさて置き、映画館の観客だけが与えられる効用が別にあると考えるためだ。その一つが共感能力だ。
同じ内容でも映画館でないタブレットに接すれば我々の脳は違う方法で受け入れる。デジタルプラットホームで見た人はそこで描かれる情景に入り込んだり、登場人物に感情移入したりする能力が著しく落ちたという。共感能力や思考力のような映画のメリットを全て享受するには映画館に行くほかはないという結論に至る。(コラムを恣意的に改変しました)
ちょっと思い出したので付け加えますが、いつだったか新海誠が、自分の映画はささやきが多いのでテレビよりも映画館向きです、というようなことを言っていたような気がします。これは、コラムで言うところの共感のメリットということに繋がるのかもしれません。