紙の書籍と電子書籍

今日は、韓国の中央日報のコラムを読んで、少し微妙な気持ちになりました。

 

【噴水台】本を読まないゾンビ世界、大韓民国
(2018年02月07日)

もう驚くことでもない。韓国人はますます本を読まない。韓国の20以上男女10人中4人は1年間ただ一冊の紙の本も読まなかった。ある者は、今は人々が紙の本の代わりに電子ブックで読んだり、多様な電子機器を通じていつにもまして多くの情報を得たりしているのに何が問題かと問い返すかもしれない。


だが、専門家たちの考えは違う。情報の量と質はさて置き、「紙の本」の読書だけが与えられる効用が別にあると考えるためだ。その一つが共感能力だ。


同じ内容でも紙の本でない電子機器に接すれば我々の脳は違う方法で受け入れる。デジタルプラットホームで読んだ人は文章から推論を引き出したり、抽象的に思考をしたりする能力が著しく落ちたという。共感能力や思考力のような読書のメリットを全て享受するには紙の本を見るほかはないという結論に至る。 (途中、かなり省略しました)

http://japanese.joins.com/article/394/238394.html

 

紙の本と電子書籍でそんなに違うものなのでしょうか。引用では省略しましたが、コラムには「◯◯大学研究チームが」という裏付けというか権威付けが並びます。紙の本から電子書籍に移行した私からすれば、「効用」はどちらも変わらなくて、「効率」は電子書籍のほうが上という気がします。

 

もっとも、それはe-inkのKindleで読んでいるからかもしれません。かつてタブレットで読書していた頃は、3時間ぐらいで目が痛くなったような気がします。

 

個人的には紙の本も電子書籍もそれほど変わらないと結論づけたいのですが、一つだけ電子書籍で困ることがあります。それは本にもよるのですが、たとえば角川文庫の『華麗なるギャツビー』の電子書籍版では目次が存在しないため、Kindleの「移動」機能を使っても動けるのは「表紙」と「奥付」だけです。そのため、たとえば第九章をもう一度読みたいと思ったときには、画面を前後にスライドさせて探すことになります。

 

最後になりますが、上のコラムに関しては読書ではなく映画鑑賞を題材とするなら、その趣旨は「あり」という気がしてきます。ここからは、上のコラムを自分流に書き変えてみたいと思います。

 

もう驚くことでもない。私たちは映画館で映画をそれほど見なくなった。ある者は、今は映画館に行く代わりにDVDで映画を見たり、タブレットを通じていつにもまして多くの映画を見たりしているのに何が問題かと問い返すかもしれない。


だが、専門家たちの考えは違う。情報の量と質はさて置き、映画館の観客だけが与えられる効用が別にあると考えるためだ。その一つが共感能力だ。


同じ内容でも映画館でないタブレットに接すれば我々の脳は違う方法で受け入れる。デジタルプラットホームで見た人はそこで描かれる情景に入り込んだり、登場人物に感情移入したりする能力が著しく落ちたという。共感能力や思考力のような映画のメリットを全て享受するには映画館に行くほかはないという結論に至る。(コラムを恣意的に改変しました)

 

ちょっと思い出したので付け加えますが、いつだったか新海誠が、自分の映画はささやきが多いのでテレビよりも映画館向きです、というようなことを言っていたような気がします。これは、コラムで言うところの共感のメリットということに繋がるのかもしれません。