映画『炎の城』(1960年)を見ました。

『炎の城』を見ました。『ハムレット』の翻案映画である『炎の城』ですが、大まかな筋の展開は本当に『ハムレット』そのままでした。全体的にセリフが抑えられていたので、シェークスピア劇ならもうちょっと喋ってほしいと思いながら見ていましたが、見終わった今は時代劇としてのバランスがとれた良い映画だったように思いました。


それにしてもこの映画、「気※い」とか「偽気※い」とか「気が※っている」とかのセリフが多いのには驚きました。

この映画には
一部配慮すべき用語が
含まれていますが
作品のオリジナリティーを尊重し
そのままで放送します

 

放送の前に用語に関する注意書きが出ていたのでそれなりに覚悟してはいたのですが、一部ではなく全編に渡って「配慮すべき用語」が出てきていました。数えたわけではありませんがたぶん20~30回は出てきたと思います。


『炎の城』はこれまで一度もDVD化されてこなかったようですが、その理由に「配慮すべき用語」の壁といったものがあったのでしょうか。もしそうだとしたらもったいないことです。

『炎の城』の粗筋を読んだとき、『ハムレット』を時代劇として翻案するアイディアは素晴らしいと思いました。

 

ハムレット  王位を継ぐのはフォーティンブラス、それが死を迎えたハムレットの心だ。(小田島訳)

 

デンマークの王子が死に際して隣国ノルウェーの王子に国を託す、という話を日本と東アジアの周辺国に置き換えることはほとんど不可能です。戦国時代の城を舞台にし、城主と若君の話に落とし込むことで初めて、一族の滅亡に際し隣国の若君に城を託してもおかしくない状況が作り出せるのです。たぶん、日本を舞台に翻案するならその時代のその状況以外にはありえないくらいピンポイントな設定なのだと思います。

 

ただ、この映画、突っ込みどころはかなり多かった気がします。

 

見ながら思ったのは、日本の時代劇にハムレットの狂気は似合わないかも、ということです。もし普通の時代劇に狂気の主人公が出てきたら、即座敷牢に入れられて話は終わってしまうでしょう。主人公の狂気を周囲の人が「偽気※い」と言うのは、要警戒しかし野放しという設定のためなのかもしれません。大川橋蔵の狂気の演技は嘘っぽさ全開でした。個人的には、この映画の雰囲気の中では12モンキーズブラッド・ピット的な行動のほうが狂気表現としてはより似合っていたような気がしました。(言いすぎでしょうか?)

 

ラストはネタバレになるのではっきりとは言えませんが、民衆の登場シーンでは、アリオンの「みんなは、そんな僕とでも行って、そしてゼウスと戦うって言うんだね。行こう、オリンポスへ!」が心の中でずっとリピートしていました。また、オフィーリアの死はジョン・エヴァレット・ミレーの絵画のイメージが自分の中で強すぎたせいか、むしろの上の土左衛門が運ばれてきたときには絶句してしまいました。

もう一つ、強く言いたいことがあります。

 

フォーティンブラス! 早く来て! (ネタバレ?)

 

ここまでいろいろ書いてきましたが、『炎の城』は良い映画でした。特にカメラワークが良く、対決シーンの約1分の長回しや、民衆の登場シーンにはしびれました。


今回、『炎の城』を見ることができて本当に良かったと思っています。

 

新訳 ハムレット (角川文庫)

新訳 ハムレット (角川文庫)

 
ハムレット(新潮文庫)

ハムレット(新潮文庫)